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奇妙な遊び

注射器イメージ


その遊びが、誰が思いついてどう始まったのかは覚えていない。
でもとにかくあるほんの一時期、アオたち女子数人の間で奇妙な遊びが流行っていた。

それをアオたちは「お医者さんごっこ」と呼んでいた。

それは家の中で行われる。
たいがいはアオの部屋でやってた気がする。
4~5人でじゃんけんをし、「お医者さん」を決める。
お医者さんはドアの外で待ち、他の人は部屋に入って電気を消してから床に並んで横たわり、目を閉じる。

OK、の合図でお医者さんはドアを開けて部屋に入る。
そして寝ているみんなのうち、誰か一人を選んでスカートをまくり上げてパンツを脱がせる。
それ以上は何もせず、お医者さんはドアの外に出る。
ドアの音を合図に、みんなは目を開けて誰が脱がされたのかを確認して盛り上がる。

脱がされた人が次のお医者さんになる。
その、繰り返し。

みんないつもキャーキャー言いながら楽しんでいたのだけど、アオはなかなか脱がせてもらえなかった。
つまり、なかなかお医者さんになれない。
つまり、ただ寝転がって、他の子たちが脱がし・脱がされをしているのをうらやましく眺めるだけ。

それがもどかしくて、ある時お医者さんになった子に
「どうしてアオは脱がせてもらえないの?」
と聞いた。
するとその子に、
「アオちゃんはさ、パンツの中にトイレットペーパーが入ってるじゃん? それがなんかイヤなの」
と言われた。

そう、その頃のアオには変なクセがあった。
それはトイレで小の用を足したとき、ペーパーで拭かないことだった。
でもそのままパンツを履いたら汚れてしまうので、ペーパーを畳んで挟んでいた。

けれども溶けやすい素材であるトイレットペーパーは、時間が経つとぐしゃぐしゃになったり千切れたりする。
それがパンツに残っているのが、友達にはイヤだったのだ(そりゃそうだろうね)。

なんでそんなことを始めたのか?
自分でも覚えてない。

きちんと、キレイに、清潔に…
そんなモノへの反抗心、だったような記憶がうっすらある。

お医者さんごっこで脱がされたいばかりに、アオはそのおかしなクセを改めた。
「もうペーパー挟んでないから。脱がして」
そう、お願いしたけれど、それから間もなくしてその遊びは禁止になった。

暗い部屋を不審に思ってドアを開けた母さんの、
「あんたたち、なにやってんの!?」
の声を最後に。
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おねしょシーツ

寝具のイメージ


アオは、布オムツで育った。
母さんが
「紙オムツは濡れた感覚が乏しいから、なかなかオムツ外れできない」
という信念の持ち主だったから。

アオが自分で子育てして思うけど、布オムツって超タイヘン。
アオは完全に割り切って紙オムツを使ってた。
もし布だったら、漏らされるたんびにイライラしてムダに当たり散らしたと思う。
だからアオの場合は、紙で正解だったと思ってる。

で、アオの子供のころの話に戻ると。

早生まれだったせいもあって、幼稚園に上がってすぐにも、幼稚園で粗相をしちゃうことはあった。
それでも昼間は、気が付けばおもらしすることもなくなってた、のかな?

問題はおねしょ。
小学校に上がってからも、ちょいちょいやらかしていた。

新しい団地に引っ越してきてから、母さんは家で塾の先生を始めた。
近所の子供たちを集めて、学校の基礎を固める勉強をする学習塾。
通ってきていたのは4年生以上の子たち。

アオが低学年の頃は、夜8時には寝なさい、と言われていた。
だから早めの夕飯を食べて母さんが授業を始めたら、アオは学校の準備やお風呂に入って、寝る準備をした。

ある日のこと。
塾の終わり時間に近いころ、アオは布団をひいていた。
アオの部屋は玄関のすぐ横。
よいしょ、といつものようにシーツを広げていたら、6年生がちょうど終わって部屋を出てきた。
男の子のでっかい声が響いたのは、その時だった。

「あ、それっておねしょシーツ?」

そう、アオはまだおねしょがあったから、シーツの下には防水のおねしょシーツをひいていた。
それを、見られてしまった。

恥ずかしかった。
何て答えていいかわからなくて、急いで部屋のドアを閉めた。

ラッキーなことにその6年生たちは隣の小学校の子たちで、おねしょシーツのことを学校で言いふらされるようなことはなかった。
でも、あの時の恥ずかしかった気持ちは今でも覚えてるよ。

結局、何年生までおねしょをしてたかな。
覚えてない。

ホタルの森

ホタルの森

ホタルと田んぼ、と言えば。
リョウくんちの周りだけじゃなく、1.5kmくらい離れた小学校の裏側にある山も森や田んぼがいっぱいあった。

学校の裏手の山は入り口が砂利で、そこから山道が続いていた。
山道の途中にはウサギの毛が落ちてたり、タヌキの足跡があったりした。
その先を下っていくと、山の合い間に田んぼがあったのね。

田んぼにはホタルがいて、夏の夜には時々、父さん母さんに連れられてそれを見に行った。
すごい、きれいだった。
そう、あの「火垂るの墓」の最初の方に出てくるシーンみたいに、ふわーって光に包まれる、そんな感じになるくらい。
おおげさじゃないよ。

それが毎年見られたから、田んぼとかホタルってそんなに珍しいものだと思ってなかったんだ。
今じゃね、地域でホタルを育てて放流しているようなところでだってあんな光景はなかなか見られるもんじゃない。

ある年にそのホタルをどうしても家で見たくて、虫取り網で捕まえて虫かごに入れて家に持って帰った。
母さんは自分が小さいころに同じように連れて帰って、翌朝には全部死んじゃってた、って話をしてたから、
自分は殺さないように注意してそっと持って帰ろうって思ってた。

いっぱい、捕まえて。
捕まえてカゴに入れるとホタルはほとんど光を発しなかったけど、帰って落ち着けばまた光ると思ってワクワクしながら、帰って。

家に帰ったけど、虫かごの中は真っ暗のままだった。
もう全部死んじゃったの?と泣きそうになりながら明るいところで中を確認した。

…1匹残らずいなくなってた…

アオが持っていた虫かごは、プラスチックのケースじゃなくて網みたいになってるタイプ。
カブトムシとか、そういう昆虫を入れる用だったのかな。
つまり、網の隙間がそこそこあったの。
だから帰ってくる間にホタルは全部、隙間から逃げちゃったのね…。

自分の間抜けさに思わず笑っちゃった。
でも死んじゃったんじゃなくて良かった、って思った。

その裏山も、その後の開発で切り開かれて、今はオシャレな一戸建てが立ち並ぶ住宅街になってるよ。


元、田んぼ

カエル


何年生のときだったかな。
一緒にピアノを習ってたリョウくんが、アオの住む団地の近くに引っ越してきた。
団地じゃなくて、一軒家。

アオのベランダから見える林を抜けて階段を下りて行った先にある、田んぼの中の一軒家。
そう、アオたちが引っ越してきた頃は目の前に広がるのは林と田んぼだったんだ。

田んぼにはカエルも居て、春になると父さんや近所の子と一緒に、用水路に産み付けられた卵を拾って来たりした。
持って帰ってきた卵は育てて、オタマジャクシやどじょうがいっぱい泳いで、カエルになるころには田んぼに返しにいった。

リョウくんがピアノをやめたのは何年生だったかな、忘れたけど。
リョウくんちに行かなくなった頃、そのあたりの山は切り開かれて田んぼも埋められて、ぜーんぶ住宅地になった。
時はバブル絶頂期に向けていけいけドンドンだった時代。
あの辺一帯の土地を持ってた不動産会社がどんどん開発を進めてた。

気が付いたら、リョウくんちの周りが前、どんな景色だったか思い出せなくなるくらい様変わりしていた。
田んぼもカエルも、ホタルもみんな、いなくなった。
オシャレな一戸建てがいっぱい建って、新興住宅地になってた。

そのことをふと思い出したのはね、今回の胆振の地震があったから。
札幌市内でも清田区で液状化が起きて家が傾いたりした。
その原因が、もともと田んぼだったところを火山灰で埋めた土地だったことと、耐震化が遅れていた水道管が破裂したことだったって聞いて。
田んぼを埋めて宅地にした住宅地は関東にも全国にもある、って聞いて。
(でも火山灰で埋め立てたりするのは北海道くらいじゃないかと思うんだけど)

もしもアオの実家のあたりで大きな地震があったら、リョウくんの実家のあたりは大丈夫なのかな?って、思ったんだ。
そんなことが起こらなければ、それが一番なんだけどね。

甘えちゃダメ

つなぐ手少しさびしい


その日、アオは学校の友達2~3人と、そのお母さんたちと一緒に歩いていた。
お母さん方はまとまって、子供らは子供らでまとまって。

そのうち子供たちは、親を置いてパーッと先に走り出した。
だけどアオはそこにはついて行かずに、母さんにぴったりくっついていた。

「アオもみんなと一緒に先に行きなさいよ」
「母さんといたいの」
「なぁに、甘えて? 普通の子はみんな、親なんか置いてさっさと行っちゃうものでしょ」

母さんに言われてものっすごくカチンと来たアオ。
…悲しかった。
フツーってナニ?
どーして母さんと一緒に居ちゃいけないの?
どうして甘えちゃいけないの???

でもそんなことは言えなくて、怒りを全身から吹き出しながら友達を追いかけて走った。

母さんは、大人同士でおしゃべりしたかったのかもね。
自分の子供だけが甘えん坊に見られるのがイヤだったのかもね。

そういう理由がわからないわけじゃないけど。
それでもアオは、アオはね……

「アオは一人っ子なんだから、父さん母さんが死んだ後もちゃんと生きていけるように、早く自立しなさい」

母さんはアオが小さいころからよくそう言ってた。
甘えちゃダメ。
抱っこなんかしない。

でもアオには寂しかった、だからいろいろな問題行動があったのは今までにも書いた通り。

そう、小学校に入ってからも、満たされない気持ちがずっと渦巻いてたんだ、アオには。
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