大人になるのはイヤだなあ

「夕飯、なにがいい?」
アオはよく母さんに聞かれた。

でも幼い子供のレパートリーなんて少ないじゃない?
アオはいつもエビフライ、って答えて却下されてた気がする(笑)

そういえば少し前に、奥さんが旦那さんに「夕飯は何にする?」と尋ねる時は、単純なメニューのリクエストを聞いているわけではない、なんて記事を見た。
奥さんが求めているのは
「冷蔵庫の中身や家人の昼間食べたメニューとのバランス、コスパなどを総合的に考えて、メニューを考えるという労力を、一緒に分かち合ってくれること」
なんだって。
結構納得。

まあ、母さんが子供のアオにそこまで求めていたわけではないだろうけど。

でも毎日、ため息をつきながら夕飯のメニューを尋ねてくる母さんをみて、
アオは大人になりたくないなーって思ってた。

少しだけ大きくなってから母さんにその話をしたら、
大丈夫よ、アオが大人になる頃には「ご飯だよー」って目の前に出されるお皿には、ビタミン剤みたいな粒がコロンと数粒転がってて、それでご飯はおしまい、って世の中になってるから。
と言われた。

それを聞いて、本当にそうなって欲しいなーと思っていた。
母さんは、基本的に食というものに興味がなかったのだろうね。

そんなアオの物語、ゆるりとお付き合い下さいな。

続く。

布オムツ

アオは布オムツで育てられた。
母さんの方針で、紙オムツだと濡れた感覚がわからなくてなかなかオムツ外れが進まないから、という理由だったみたい。

けどアオは、2年保育の幼稚園に進む頃になっても時々間に合わなくて漏らしたし、
おねしょも毎晩のようにしてた。

お洋服や夜のシーツの洗濯とか、それだけでもストレス値アップだっただろうなぁ。
おねしょに至っては小学校3年生になっても治らなかった。

おねしょやお漏らし対策に、夕飯の時にはお水やお茶は出なかった。
この水分不足が別のところに後々影響してたから、バランスって本当に難しいよね。

補足するとアオのおねしょは病的なものではなく、
内蔵の発達が少し遅かっただけみたい。
そしてこの成長曲線は遺伝もあるんじゃなうかな、と思うよ。

そんなアオが4歳の時、隣町に新しい幼稚園ができた。
アオや近所の子は、その幼稚園に通うことになった。

続きはまた。
ゆるりとお付き合い下さいな。

つづく。

りゅうさん


街角で、劉さんに似た人を見かけた。
アオの知っている劉さんは15年前の姿だから、本人であるはずはない。

劉さんは中国からの留学生。
アオが最初に働いていた夜のお店の、厨房をやっていた。

日本語は片言。
英語も片言。
アオの英語も片言。

だから身ぶり手振り、たまに漢字の筆談での会話。

喜怒哀楽のハッキリした人だったけど、笑ってることが多かった気がする。
日本語が通じにくいからお店の女の子は敬遠してた。
でもアオは片言同士の会話でも楽しくて、仲良くしてた。

北京大学に行ってた、それ以外は何も知らない。
北京大学の話だって、本当かどうかわからないけどね。

水商売だもの。
お互いにね。

アオがお店を辞めて会うこともなくなって、それっきり。
たまーに思い出す。
わりとイケメンだったよ(笑)

劉さん。
今どうしてるのかな?
元気でいるといいな。

ふと思い出した雨の夜。

抱っこ


アオの娘が3歳くらいの時。
神奈川の実家に行った。

甘えん坊の娘が、道を歩きながら抱っこをせがんできた。

アオたちは基本、抱っこをたくさんしてあげる方針。
抱き癖なんて、大人の都合。
いずれ子供は自ら離れて行くんだから。

だけど母さんがアオを子育てしていた時代は、
抱き癖がつくからせがまれても抱っこしない、という風潮。
母さんもアオをそんなふうに育てていた。

だから娘がアオに
抱っこ~
と言うたびに、母さんは娘に
まだ抱っこなのぉ?赤ちゃんみたいよ?
と言っていた。

そしてアオに、
あなたは抱っこ~って言わない子だったわ、
小さいときから抱っこって言われても「しません!」を貫いたからね、
と自慢げに言った。

アオは心の中で、

違うよ母さん、本当はアオだってたくさんたくさん抱っこして欲しかったんだよ…

って思った。

そう、アオは寂しかったんだ。
もっともっと母さんに甘えたかったんだ。

けど母さんは、アオを一人前にするためには甘えん坊じゃダメと考えていたんだね。

一人っ子のアオをきちんと自立させるー…
それが母さんの育児方針だったんだ。
でも幼いアオは…。

続く。

母のこと、その1

母は、愛知県で生まれ育った。
戦後の混乱の中、三人姉妹の真ん中として。

一番上のお姉さん(アオの伯母さんね)はお母さん(アオのばあちゃんね)の田舎に預けられてたから、
アオの母さんが実質的には長女みたいにして育った。

お父さん(アオのじいちゃんね)は戦争で身体を壊して帰ってきたから、働けなかった。
だからお母さん(アオのばあちゃん)が一人で働いて、アオの母さんたち姉妹を育ててたんだって。

当然、学費どころじゃない。
それでも勉強をしたかった母さんは中学卒業後に就職をして、定時制高校に通った。
そして奨学金を借りて大学にも進学した。
あの時代で考えたら、すごいことだと思う。

それから大学で同級生だった、父さんと、卒業後まもなくして結婚した。

そうして、アオが生まれる。

努力家の母さんは自分の努力と意思で自分の道を切り開いてきた。
けど。
赤ちゃんのアオは、意思が通じない。
「早く言葉が通じるようになれって毎日思ってた」
って言ってた。
それに。
赤ちゃんのアオは、母さんの努力だけでは言うことを聞いてくれない。

高度成長期の時代、サラリーマンだった父さんもご多分に漏れず、仕事人間だった。
休みの日に接待ゴルフこそなかったけど、その代わりに休みは自分の好きなように過ごしていた。

母さん、地元じゃないから友達もいないし、母親同士の交流とかも苦手な人だったから…

友達もいない
赤ちゃんは言葉が通じないしアトピーでぐずる
話を聞いてくれるダンナもいない

そんな状況、それがその後にどうつながっていくのか。
なんか、想像がつくでしょ?

続きはまた明日。
ゆるりとお付き合いくださいな。

続く。

テーマ : 伝えたいこと・残しておきたいこと - ジャンル : 日記